人の人生には、様々な恩師がいます。
一人では、何もわからなし、教えてもらって初めていろんな意味を知る。
「我以外皆我が師」
僕は、恩師の恩はとても大事なことだと考えます。
「一番左」 松下工房・主宰、松下久氏
僕が、まだサザンでデビューする前、道玄坂にあった渋谷ヤマハ店のリペアルームで最初にお会いしました。
ギターのメインテナンスは勿論、オリジナルカスタムギターを製作してもらったり、人生相談にのってもらったり、兄貴分的な存在です。
ギターに関して無知だった当時からの僕に、懇切丁寧にいろんなことを教えてくれました。そして、いつも適切なアドバイスをしていただき、調整をしてもらっています。
今でも、大変お世話になっております。
「一番右」 永井充男氏
1976年当時、下北沢を拠点としていた、金子マリ&バックス・バニーのギターリスト。
いぶし銀の彼のプレーに、聴く人皆が、魅了されました。
当時、僕がアルバイトをしていた下北沢ロフトで、永井さんと知り合いました。
ある日、永井さんから、渋谷ヤマハでロックギター教室をやっているというのを聞いた僕は、僕にも教えてくださいと、すぐさま、ロックギター教室のオーディションを受けに、道玄坂のヤマハに行きました。
松下さんをご紹介してくださったのは、たしか、永井さんでした。
半年ほど、教室に通い、月謝をまともに払ってなかったのもあってか、なかってか(笑)、教えることないから、もう来なくていいよと言ってくれました。
この頃は、アルバイトで費やす時間以外は、すべてギターの練習をしてました。
それが、ご縁で、渋谷ヤマハ店のスタッフのみなさんの、絶大なる協力と、無償の愛を、結成したての我らがサザンオールスターズを、大プッシュしてくれたおかげで、プロデビューの最大のきっかけとなった、ヤマハ主催のロックコンテスト、East West77に出場することができたし、おかげさまで、中野サンプラザの決勝大会まで進み、入賞することができました。
ちなみに、カシオペア、シャネルズ、円ひろしさん等も、同じ年の決勝大会で競い合いました。
「右から二番目」
うちのかみさん涼子
頭が上がりません。m(_ _)m!
Steve Khan(スティーブ・カーン)
スティーリー・ダンというグループが、彼らの一枚目から大好きで、聴けば聴くほど、どうしたらこんなサウンドになるんだろう?
その謎と疑問は、僕の頭の中で何年も何年も膨らむばかりでした。
レコードもすり切れるほど、毎日聴きまくってました。
あるとき、レコードのクレジットを見ていたら、都会的で洗練された楽曲には、必ずと言っていいほど、彼の名前がクレジットされていました。さっそく彼のソロも買い、聴きまくりました。
これだ!
と思いました。
スティーリー・ダンのサウンドの一翼を担ってるのは、彼だと思いました。
それで、早速、すべてのコネクションを駆使し、彼から直接レッスンを受けに、1987年6月にニューヨークに渡りました。
スティーブ・カーンの住んでいる部屋で、プライベートレッスンを受けることができました。
回数は4~5回でしたが、目からウロコの、何物にも代え難い僕の財産となったのは、言うまでもありません。
レッスンは、毎回カセットに録音してくれて、教材は勿論、彼のデビューアルバムの話になり、大好きですと僕がフレーズを弾くと、え~と、それどおうだったっけ?と、確かめに、奥の部屋から、ニコニコ口笛を吹きながら譜面を持ってきてくれて、あー、こうだったねと、コピーした譜面、アルバム一枚分全部、僕にくれました。
ギターリストはギターで語り合う!
素晴らしい日々でした。
James Taylor
進化し続ける彼の音楽に対する姿勢は凄いです。
凄すぎて、気づきにくいのですが、今でも
My Favorite Musicianです。
ジェームス・テイラーとの出会いなどについては、またの機会でご紹介したいと思います。
隆志